首相の靖国神社参拝について思うところを書き残したところ、コメントやトラックバックをもらってちょっと嬉しいです。せっかくなのでもうちょっと突っ込んだところを述べてみます。

まず今起きている靖国神社参拝問題というのは、政教分離以前の問題です。この辺について煽り気味のことを書いたので反応いただけたのかなとか思ってます。

私が「靖国参拝を政教分離問題にするのは論外の電波」と書いたのは、参拝を国内問題でなく国際問題にしている人がいるからなのです。

まず解決させるべきは国際問題の部分です。政教分離に関する議論は、純粋に国内問題ですからそんなのは後回しで当然なのです。首相が私的参拝と公言しても中国は文句言ってくるでしょう。だから、その観点から問題に切り込む人というのは情勢を理解せずに我を通したいだけで、問題を長期化させる結果にしかなりません。いくら正論でも国益に反する妨害電波になってしまいます。

トラバいただいたblogも読ませていただきましたが、これは勉強になりました。政教分離にこだわる人の言いたいことがようやくわかりました。要約すると、首相の靖国神社参拝は遺族会の票が欲しいだけで、それ以上の意味は無い、ということです。確かにこれは気分悪いし、その上様々な問題を孕んでいるとあっては、参拝に反対するのも当たり前でしょう。しかし、こういう観点での切り込みは純国内問題なので気分悪くても後回しです。

また、小泉首相は靖国参拝を公約にしてる人なので、参拝しないなら辞めるべきなのです。そういう状況なので、参拝は辞めないでしょうが、曖昧だったことをはっきりと問題提起した感もあります。今の騒動が計算ずくで、落としどころを考えての行動であることを期待しています。無理でしょうかw。

あと、コメントいただいた命題ですが、法解釈はおいといて、政教分離の意義を考慮すれば答えは明らかだと思うのです。

> 公明党の問題は全然違います。仮に公明党が、ある種の宗教団体の営利を代表していたとして(笑 仮にです)、これが憲法違反になどなるはずもありません。

これは党員かつ議員はNGです。取り締まりようもないけど。

> しかし、公明党から出た首相が(仮にですよ)I田D作氏の説法に出かけ、「内閣総理大臣 公明太郎)と署名したらどうですか?こうした活動は許されますか?かまいませんか?だめですよね?

これはOKですが、お布施を公費で出したらNGです。

公費がいくら動くか、動いたかだけが問題でしょう。

あくまでも私見ですが、特定の団体の利益を代表している時点で政治としてはダメです。ある団体を利することがあっても、それが国益に適うことであれば一向に構いません。しかし、団体の利益を代表してはダメです。結果として、ならOKですけど。特に宗教は人々の心に根ざしたもので、それが盲目的な専制政治に繋がる可能性が高いから法で禁止すべきです。無理だけど。

つーか、税金払わないやつが政治に口出してんじゃねーよ、というのが率直な気持ち。

次に、公私を分ける象徴的な事象として署名がありますが、実を考えれば署名に何て書こうが構わないのです。公務員が公費で特定の団体をいくら利したかが問題なのであって、署名は直接関係ありません。市井の市役所職員が賽銭の五円を経費で落としたら、それはダメですよ、というレベルの話です。ダメだというなら署名する/しないで参拝を受けた団体の利潤の差を定量的に出さねばなりませんよ。こんなのデータ取れないですよね。
百歩譲って、署名がダメだという話もわからないではないのですが、今議論することではないし、これは問題を発散させ長期化させる為の議論であり、結局のところ国益に反すると思います。

つーか、首相の顔と名前を知らない人の方が珍しいという状況において、署名に何て書こうが首相が参拝に来たことは変わらないんだから、そのへんの解釈は法学者や司法に委ねるべきで、政治の話ではないですよ。こんなの形式と法解釈だけの問題。


私は日教組の父に育てられたこともあり、中学生くらいまでは天皇制廃止論者でした。当然伊勢神宮も靖国神社もダメ、宗教法人は存在自体が認められないし、税制上の優遇措置があるということの意味がわかりませんでした。まあ人間変われば変わるものです。10年後にまだ靖国問題があれば、自分のBlogを読み返すのが楽しみになります。


靖国参拝否定論者には罪と罰といった観点で語る人が多いように思える。あくまで私的な印象ですが。戦犯が祀ってあるからだめ、とか。何をしたにせよ、軍人が公務で行ったことを個人の責任にするのはどうなのか。性善説に立てば、罪を憎んで人を憎まずってことになる。



結局いくら儲かるかが重要なのですが。